トマトをひっくり返す子はハッカーになるといいよ!

id:tikani_nemuru_M
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20080702/1214984474#tb
これを読んでボーっと考えたら、ふと思った。
試してみてうまく行ったら儲けもんだろ。
美術系の大学いきたきゃ美研に行け。
あと静岡県民なんだ。同郷だな。

以下考えはまとまらないが。


まぁ私は美術の項目があるような賢い高等過程は受けてないし進学校にいってる時点で型にはまっちまってる気がするが。

「個性などというものが自分にあると思っているから、それを出すのが芸術だと思っている。基礎訓練をしようとしない。基礎訓練の重要さを説くと、「感性」だとか言い出す。どうやら、他人と比べられたくないという心理も個性という言葉が正当化してしまうらしい。個性重視というのは、少なくとも芸術系の科目にとっては害ばかりだな。」

個性などというものが自分にあると思っているから、それを出すのが芸術だと思ってるのか、個性を出すのが芸術だから自分に個性があると思ってるのかわからんが、他人と比べられたくないのは単純につらいからって理由の方が大きいと思うし教えなければならないのは現実問題比べられるし比べざるをえないだってことで、それは芸術どうこの問題ではないと思う。

・感性とか言っていいのは、感性の鋭い奴だけ
・他人と同じことができるようになってから、他人と違うことをすると言え
・そんなに他人と比べられたくないのか?
・そもそも君らに個性などない

それと他人と比較されたくないんじゃなくて特別であることによって他人に認識されたいんじゃないか。その昔高校時代髪の毛を赤く染めて真っ青なアロハを着てだぶだぶのデニムをハーフパンツくらいまで捲り上げてサンダル履きで登校していたが出席を取るとき先生の眼前に座ってるにかかわらずあいつは休みかといわれたとき普通の格好をしていたら自分など認識されるのかと怖くなった。webの発達した昨今世の中の大勢がどう在るかの情報も得やすくなる故に埋没してしまう事が恐ろしいんじゃなかろうか。あと感性が鋭いやつは感性とかいわねぇんじゃねぇの?

「個性というものは目標としてあるもの。もちろん、個性は個体差を生かしたものになるだろうことはわかる。しかし、生の資質を個性とはいわない。個性と個体差の違いがわからないのは文化とはいわない。」

ここがちょっと引っ掛ったんでWikipedia
文化 - Wikipedia

人間が長年にわたって形成してきた慣習や振舞いの体系。本稿で以下に記す。
いわゆるハイカルチャー(文学、美術など)を指すことも多い。例えば「日本文化史」と称する本の多くは、源氏物語や和歌、仏教美術など上位の階層が担った文化の記述が大半を占めているはずである。

ハイカルチャーの方か。


けどこれこの人じゃなくて友達の非常勤講師の言葉なんだよなぁ。



ドラッカー曰く「私は貴方と自分の顔の区別がつきますよ」うろ覚え。
私の思うところ才能とは諦めず最後まで成し遂げ「られた」奴の事だと思う。
その他大勢の諦めなかった奴らは死ぬから。