侘び寂び

就職支援系のサイト誘導広告で芸能人が就職なら!ってやってるのをみて正社員を目指す人間をフリーランスが誘導するのかぁとなんとなく不思議な思い。
時代劇風の動画をみていて考えたんだが、
侘びがどうの寂がどうのっていっても茶道って発端から現代に至るまである一定以上の層のものだよね。
戦国江戸期は置いといて現代だとどう考えても一定以上の生活水準の人間を振り分ける為のものでしかないよねと。
まぁ芸術云々にいたればその状態に至るのは致し方ないのだけど侘び寂って言葉にとらわれてなんか勘違いする貧乏人とか見てるとなんなんだろうなと。
茶道を嗜む事である一定以上の教育を受けたってのが事実なんだろうなと。もしくはそれだけの教育を受けさせてもらえるだけの層とか自ら学ぶ事が出来る層とか。
普段使いの当世物の云々もてなす気持ち云々。
お茶も陶器も特別なものでなくなって幾星霜、前茶も抹茶も自動販売機に突っ込まれコンビニに並び陶器茶碗は百円均一に積まれ唐物も今では安物粗悪品の代名詞に成り果てた昔風に言うならば三文碗が流通する時代でどうこうってもなんだかなぁと。
形だけでもそろえてってのを調べるだけのとなると今度は知識のコストだよなぁ。