無用知識に掛かるコストってもう見なくなったエロ画像みたいなもの?

フェイスブックは一人で戦う必要は無い
http://d.hatena.ne.jp/kurosiosadakiti/20101229/1293626885
で書いた無用知識についてぼうっと考えてたんだが

一斉同報送信からクラスタの時代へ
http://d.hatena.ne.jp/essa/
「これを読めばすべてわかるっていうブログはないんか?」
http://japan.cnet.com/blog/sasaki/2006/08/23/entry_post_5/
を読んでてこうなのかなぁ?って思ったので。
ソーシャルブックマーク、ツイッタ、ブログ、Youtubeやニコ動、まとめサイト(ブログ、wiki)なんかのブロックよりも細かくスライスされた情報の中からどれが必要でどれが不必要なのか判断して現状を把握、情報の更新をしなきゃならない。必要な情報がどこにあるのか解らないしどれが必要かも判断しなければならない。けどそれにアクセスする手段だけはふんだんにあってだからこそコストが掛かるんだと思う。
例えばツイッタはさまざまなめりっとやトゥギャッターなんかでまとめられるけどそもそもが呟きっていう非常に細切れな情報な訳で。そこから更に別の人間の反応や同じ話題でも違うクラス他の反応やなんかも貴重な情報源だったりするんだろうな。
これが旧来のテレビや新聞だけの時代だったらその時々によって情報を更新していけばよかったわけだ。複数の分野にまたがる場合でもブロックを組み合わせるが如く形作っていけた。情報の発信者は企業単位もしくは国家単位だったわけでそれほどの数を考えなくても良かったんだから。
一つのクラスタがほぼ独立できていればまだそれほど問題は大きくないんだろうけど学問にしても技術にしても隣接する分野ってものは存在するし今まで考えつかなった分野同士が結びつく場合もある。過去金融に数学者がなだれ込みクオンツって分野ができたように。個々人の趣味嗜好の問題もあるだろうし競合やんあんやもあるだろう。
ある一つの問題に大きく関わりそうな技術がいくつかあるとする。その技術のどれが生き残るかでその問題が大きく左右される。各々の技術にはそれが生き残るかどうか必要な問題がいくつかある。技術は常に開発され続ける。そして最初の問題以外にも問題はたくさんあるうえに全てが独立しているわけじゃない。
この問題が問題なのは(おかしないいまわしだが)技術が常に生まれる事でもなければ問題自体が複数ある事でも事態が複雑な事でもない。その問題自体が「誰にでもすぐに」手の届く事にありさらにはそのスピードが凄く速いって事なんだろう。
今この瞬間にも情報は貯まっていく。動画にしろ画像にしろテキストにしろ。
もう見なくなったエロ画像みたいに捨てるのは惜しいけど使わないよなって物がガンガンでてくる。スラッシングされた各情報の中でその個体がどれを選びそれを元に行動するか。どれを選べば最適な選択なのか。に掛かるコストが無用知識に掛かるコストの問題なんじゃなかろうか。