全共闘というコップの中の嵐。団塊という幻。

母はたぶんマルクスを知らない。私の両親がちょうど団塊の世代だ。その頃の大学進学率がたしか10%程度、高校進学率が半分くらい。
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こうした「日本的」な中間集団の性格は、今も変わらない。都市化して個人がバラバラになると、人々は自分の所属すべき集団を求めて集まる。それが学生運動が流行したころは極左の党派であり、その後は原理であり、またオウムだったというだけだ。創価学会共産党も同じようなもので、さらにいえば会社も中間集団だ。この意味で団塊世代は、学生運動というカルトが挫折したあと、日本株式会社という巨大なカルトに拠点を移しただけともいえる。

大半の人間にとってそんなものは知ったことじゃなかったんじゃないかなぁ。
高卒の父はは中卒の母と一緒になって私はその下に生まれて家族になって情報はいつの時代もあったけれどそれを得る方法もわからなくて今日と明日と来月のために働いてけして金持ちではないけれど貧乏でもない中流家庭で、小さい頃の私はゲーム機を買ってもらえる程度には生活に余裕はあって。情報といえば大卒が作った年寄りの話と新聞とテレビとラジオと近所の小さな本屋で。

この世代のこういう人達の発言の違和感。完全に僻みなんだろうけど自分たちと同じステージ以下の人間を見てない感を感じてしょうがない。確かに既に起こっている未来からすればお門違いなのもいいとこなのかも知れない。大学進学率はどんどん増えて高等教育を終了したものでこの国は埋まるのかもしれない。だから自分より年下に話しかけるならそれでいいのかもしれない。国にとって個人の禍福なんて誤差に過ぎない。

けどそれって本当にその「時代」を語ってるの?

確かに社会を動かしてきたのはこの人達だ。間違いない。優秀な人達は沢山いただろうし今日の生活もその恩恵にたっぷりとあずかってるんだろう。

けれどなにか大切な何かを聞けていないような気がするのはなんでだろう。