既存の

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110801/1312219747
本質とほぼ関係ない話題でリンクするのは気が引けるがそれを抜いても考えさせられる話だったので。
「既存の仏教に飽き足らない人が」とあるけど何が既存なのか気を付け無ければならない。こういう言い回しの『既存』にはそれを口に出した奴の中だけでの『既存』である事が多々あるからだ。これだけの歴史の中で本当にそれは斬新かどうかなんて知れべてない可能性がある。短く言うとウィキペディア以下の情報量で何をほざくかという可能性。
蝉丸Pなんかに代表される『新たな仏教』なんてのは現在起きてる事象や世に薄く出回ってる宗教観に対してニコ動やその他サイトなんかの「新しい技術」でアプローチしてるだけって話だ。仏教の解釈自体にそれほど新しい話は無いだろう。あったらそっち方面から反論なり何なりあるはずだ。今時の坊さんはパソコン使えるからな。
更に「新しい技術」をつかってのアプローチが新しいかって言われたら昔から多々あったとしか言いようが無い。アメリカにおけるキリスト教のTV説法や仏教だと瀬戸内寂聴のCD集だったり。瀬戸内寂聴調べなおしたら携帯小説にも手を出してたんだ。そういやあったなそんな話。アグレッシブだ。
閑話休題
にやけ面をして『既存』を嘯く連中に何故気をつけなきゃならんかというとそいつらはまっとうなモノの中に胡散臭い「商品」を混ぜ込ませて「商品」の信頼性を担保させようとするからだ。
直接は関係ないくせに「ね、だからコレもいいものでしょ?」てね。