ふらふらと思うこと

ケース1
義手義足の技術は発展し臓器血管血液にいたるまで人口で代用できる未来。脳が限界に来た個体は個々の人格までデータベース化し時折機械の躯体を媒介に現実世界に顕現する。
だがそこまでたどり着いたものを果たして人類と呼べるのだろうか。
ケース2
バイオテクノロジーは臓器の複製を可能にし遺伝子の欠損もブッチギリいつ死ぬかは個人が決める事となった。
だがそこまでたどり着いたものを果たして人類と呼べるのだろうか。