この歳になってふらふらしてこの先どうするんだとかはどうなるんだろうねとしか言いようがない。
結婚とか恋愛とかは良くあるもて非もて論とかじゃない問題だし。
宗教とか哲学とかは好きな人が勝手にやってよ。但し俺の方には来るなよってな。
自分としてのスタンスは有るが故に有るが故に有るのならば有るのだろう。
それ以上もないしそれ以下もないし。

国民の負担なくして自給率は上がらない:日経ビジネスオンライン

もしかして釣られたのかもしれない。
補助金どうこうの話だが、市場価格に対していくらいくらの話ではないと思う。
国内の農業はというか自給率の問題は「食料」の輸入ストップの問題だけの問題じゃないんじゃないかな。
まず燃料。ハウスにしろ各種燃料にしろ油がなければ動かないし農業は成り立たない。
次に肥料。これも現在中国からのリン鉱石の輸入が滞って問題になっている。
実質国内農業も「食料」以外の輸入に大きく依存してるんじゃないかな。
そんな事を考えながら読んでいくと

 例えば、日本で言えば、山間部の棚田は非常に非効率です。日本では、ああいう非効率な田にカネを出すという議論は受け入れられそうもない。ところが、北イタリアの水田地帯では、棚田での稲作についてはほかの作物より上乗せされたカネが直接、支払われている。

 その上乗せの理屈の1つは、水田による水の浄化作用。そしてもう1つがオタマジャクシや赤トンボ。生物多様性に効果があるということですね。あとは、ダムとしての洪水防止機能です。こうした水田の機能はコメの価格には反映されません。

 でも、生産者に市民が対価を支払うべきもの、と彼らは理解されている。日本でこういった考え方が理解されるかは分かりませんが、小規模で非効率な棚田を維持するには、対価を払わなければならない。

と、くる。
案外補助金を納得させるのにはこういう方向が向いているのかもしれないなぁ。

似た様な方向で林業では
日本一の森林はこう作る~尾鷲の山を歩く:日経ビジネスオンライン
ってな話があったりするのです。

森林には地球温暖化の防止だけでなく、国土の保全や水源の涵養、多様な生態系の保全など様々な機能があります。正しいかどうかは別にして、毎年、70兆円以上の機能を発揮しているという指摘もある。それに対して、木材生産は3600億円しかない。この3600億円で多様な機能を発揮し続けるというのは、実は大変な話なんですよ。

 本音を言えば、多様な機能を持っているというのであれば、その対価をもらわなければいけない。だって、その機能はあらゆる人が享受しているわけですから。森林には、森林が存在しているだけで出している機能と、管理したために出てくる機能もある。少なくとも後者の方、管理したために増幅した機能に関しては、間違いなく対価をもらってもいいはずでしょう。

 おそらく、国民や産業界もそのことを理解してくれると思う。森林組合補助金を増やしてほしい、の一辺倒だけど、そうではなく、我々林業界が国民に説明していかなければいけない。誰が見てもきれいな森を作ろう、と思うのは、こういう森を作れば納得してくれると考えているからです。

引用は前後するがこういう考えに至った経緯をこう話している。

私は生産性を高めながら経営をしてきました。日本の林業の機械化の1ページを開いた自負もありますよ。でもね、補助金なしですべて自分の経営でやっていけるか、というと、今のところ自信がない。

 間伐や作業道整備など森林整備にかかわる補助金は、売り上げに対して数%というところ。ほかの林業経営者に比べれば、少ない方だと思います。でも、どうも自信がない。自信がないんだったら、本当の意味で国民が求める森林というものを人工林の中で作っていくことが1つの役目だろう。そう思うんですね。

補助金の問題はこういった方向がこれから必要なんじゃないか、web時代においてこういう話は絶えず
繰り返され洗練されていくんじゃないかなと、ぼんやり。